医師は「自由な契約者」ではない

― 不均衡な医療契約の現実 ―

世間一般には、「お金を払って病気を治してもらう」という考え方が医療の基本構造であると広く受け取られています。すなわち、患者と医療機関は、成果に対して報酬が支払われるという対等な立場で、有償の準委任契約を結んでいる、という前提です。

しかし、実際の医療はまったく異なります。

医師には「応召義務(おうしょうぎむ)」という法的・倫理的義務が課せられています。これは、患者からの診療要請に対して、原則として応じなければならないという制度です。
患者の病状がいかに重篤であろうと、治療のリスクがどれほど高かろうと、またそれが経済的にまったく割に合わない医療行為であろうと、医師はその責任から逃れることができません。

これは、通常の民間契約には見られない、極めて不均衡な構造です。
すなわち、医療という契約は、患者が「選ぶ側」であり、医師は「断れない側」であるという、対等性を欠いた一方的な構図になっているのです。

それにもかかわらず、医療事故が起これば、病院や医師はしばしば数千万〜億単位の損害賠償請求を受けます。契約関係において自由な裁量を持たず、強制的に応じる義務を負う側に、巨大なリスクだけを一方的に背負わせるというのは、明らかに理不尽です。


保険診療制度と「高リスク治療=貧乏くじ」の現実

特に、日本の保険診療制度においては、診療報酬は「かかったコスト」に基づいて厳密に設定されています。
使用された薬剤や材料、人件費などの積み上げによって点数(報酬)が決まる仕組みであり、そこには「リスクを吸収するための余裕」や「結果責任を補填する余剰」といった要素は一切含まれていません。

そのため、高度な判断が求められ、予測不能な合併症のリスクを常に伴う外科手術や出産、救急処置などは、極めて損益分岐が悪い「貧乏くじ」的な医療行為となってしまっています。

万全を期しても結果が伴わなければ訴えられる。
そして、たとえ勝訴しても、対応にかかった時間・労力・名誉の毀損・精神的負担は取り戻せない。
それが今の医師たちが直面している医療訴訟リスクの現実です。


若手医師の進路選択に与える深刻な影響

こうした過酷な現実を前に、多くの若手医師たちは重大な決断を迫られます。
外科、産科、救急といった命に直結し、社会的にも重要な診療科は、リスクが大きい割に報酬も見返りも少ない。だからこそ、これらの診療科を敬遠し、精神科、皮膚科、眼科など、比較的訴訟リスクが低く命に直結しない「マイナー科」に志望する動きが強まっているのです。

これは個人の生存戦略としては当然の選択です。
しかし、この傾向が続けば、医療全体のバランスが崩れ、本当に必要な医療が届かない社会が到来してしまいます。


日本訴訟医学会の問題提起

日本訴訟医学会は、このような構造的問題を正面から見据え、医療と法の接点における根本的な改革を提唱しています。

医師が安心して医療に専念でき、患者が安心して医療を受けられる環境を実現するには、単なる個別訴訟対応ではなく、制度そのものの見直しが不可欠です。

私たちは、医療と法が本当の意味で連携できる未来を目指して、これからも議論と提言を重ねてまいります。

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