はじめに
近年、医療訴訟を巡る環境は大きな転換点を迎えています。裁判所が公表している「医事関係統計資料」によれば、令和5年(2023年)時点の最新データから、医療訴訟の構造的な課題が浮かび上がります。本稿では、医療訴訟の実態を統計から読み解きつつ、現在の診療報酬制度の限界と、その中で医療従事者が直面する困難について考察を深め、私たちが「日本訴訟医学会」を設立した意義を述べたいと思います。
医療訴訟における異常に低い勝訴率
まず特筆すべきは、医療訴訟における原告(患者側)の勝訴率がわずか20%に過ぎないという点です。裁判まで至っても、5件中4件は請求が棄却されているのが実態です。
比較対象として、一般民事訴訟における認容率は86.3%(証人尋問を行った訴訟でも58.9%)に達しており、医療訴訟の結果がいかに特殊であるかが明らかです。これは、医療訴訟においては「過失の立証」が極めて困難であること、ならびに医療行為が高度に専門的かつ不確実性を伴う営為であることに起因しています。
判決より和解が多数を占める実態
次に注目されるのが、訴訟の終結手段です。医療訴訟のうち、判決によって終結するのは36.1%であり、和解による解決が54.5%と過半数を占めています。
この「和解」はしばしば金銭の授受を伴いますが、その内実は一様ではなく、医師に明確な過失がある場合だけでなく、過失が認められない案件においても、病院側が社会的批判や風評被害を避けるために「予防的和解」を選ぶケースが多く存在します。
このように、和解件数の多さは、訴訟リスクの回避行動の一環として捉えられるべきであり、和解の存在自体が必ずしも医療過誤の存在を意味するわけではないという点に注意が必要です。
医療機関の経済的逼迫と訴訟リスク
現行の診療報酬制度においては、医療機関は極めて厳しい財政状況に置かれています。診療行為の多くが「原価割れ」となっており、物価高騰も追い打ちをかけています。その結果、かつては訴訟対応にある程度の余力を有していた医療機関も、現在では訴訟が提起されただけで経営的・心理的に多大な負担を被る事態となっています。
このような状況下では、たとえ医師に過失が認められない場合でも、病院経営者や自治体が“世間体”や行政的配慮を優先し、和解に応じるケースが少なくありません。そして、現場の医師がスケープゴートとして責任を負わされるという、不当な結果を招くこともあります。
保険診療の本質と法的誤解
さらに本質的な問題として、日本の保険診療制度における医療提供の法的構造がしばしば誤解されています。
保険診療において、病院や医師は患者に「治癒」や「改善」を保証しているわけではありません。 というのも、保険診療は患者と病院との私的契約ではなく、健康保険法などの社会保険制度を介した公的給付に基づく行為であるためです。医療機関は、国の制度に則って定められた医療を提供しており、その報酬も制度上、厳しく制限されています。
それにもかかわらず、「結果責任」のような観点から訴訟が提起される現状は、制度的な枠組みとの整合性を欠いています。医療はあくまで努力義務に基づく行為であり、結果を保証するものではないという基本原則が、社会的にも法的にも再確認される必要があります。
訴訟法理の見直しと制度改革の必要性
これまでの医療訴訟は注意義務など、民法上の一般的な契約責任論に基づいて議論されてきました。しかし、現代の医療提供体制、特に保険診療という公的枠組みのもとでは、従来型の契約責任論では捉えきれない課題が山積しています。
今こそ、医療訴訟を現実に即した形で再構築すべき時期に来ているのではないでしょうか。制度の整合性、医療の専門性、国民皆保険という特殊な文脈の中で、法と医療の接点を見直す必要があります。
日本訴訟医学会の設立とその使命
以上のような問題意識に立脚し、私たちは「日本訴訟医学会」を設立いたしました。
本学会は、医療訴訟に関わる統計的分析、法理の再構築、医療倫理の検討などを通じて、より公正かつ実態に即した医療訴訟の在り方を追求することを目的としています。また、医療従事者の法的リテラシーを高め、社会との対話を通じて誤解や偏見を是正するための情報発信にも取り組んでまいります。
おわりに
医療とは、人間の生命と尊厳に関わる営為であり、本来、対立や非難によって語られるべきものではありません。にもかかわらず、制度的なひずみと社会的誤解が、医療と法の間に不必要な緊張を生じさせています。
私たち「日本訴訟医学会」は、そうした対立構造を乗り越え、法と医療がともに歩むための知的基盤を構築することを目指して、活動を続けてまいります。
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