投稿者: jalm

  • 保険診療では病院は医療事故の責任を負う必要は全く無い

    昨今、医療現場では患者からのクレームや訴訟リスクが増加しています。特に、治療結果に満足できなかった患者が病院に対し損害賠償を主張するケースも見られますが、実際には、ほとんどの医療行為は契約責任を基礎に行われるものではありません

    とくに公的医療保険制度の下で行われる保険診療については、契約責任に基づく損害賠償の構成がなじまないことが、法的にも明らかです。


    時代錯誤の判例が、医療現場を蝕んでいる

    とくに注目すべきなのは、公的医療保険制度の下で行われる「保険診療」という、日本の医療制度の根幹をなす実態があるにもかかわらず、法曹界ではいまだに「任意契約」や「準委任契約」を当然の前提とする古典的な判例が参照され続けているという問題です。

    こうした裁判所の姿勢は、現実の医療提供体制と大きく乖離しており、次のような矛盾を生み出しています:

    • 保険診療では診療内容・範囲・報酬が制度上制約されているにもかかわらず、自由契約と同様の責任が課される
    • 結果責任ではないはずの医療に、患者の「期待権」の侵害という抽象的概念を通じて慰謝料請求が認められる
    • 最新の医療情勢や制度の変化が、裁判判断にほとんど反映されない

    こうした実務の実情を無視した法理運用は、結果として「医療訴訟リスクを恐れて積極的な医療行為を避ける風潮(防衛医療)」を助長し、医療現場の士気を低下させ、患者にとっても不利益となる悪循環を生んでいます。


    保険診療における「契約責任」は成り立たない

    医療契約は「準委任契約」とされ、医療機関には民法上の「善良な管理者の注意義務」が課されるとされています。しかしながら、これはあくまで自由意思による契約に限られた構成です。

    一方、保険診療はどうでしょうか?

    • 保険診療は健康保険法などの公法上の制度に基づき、医療機関は保険者や国の定めた診療報酬・診療ルールに従って医療行為を提供しています。
    • 患者も保険証を提示し、ルールに沿った診療しか受けることができません。
    • 診療等を給付する主体は国や保険者であり、病院や医師はあくまでそれらの代わりに医療を提供するにすぎません。

    このように、医療機関と患者との間に契約関係は存在しないため、民法656条を根拠とした「準委任契約」は本質的に適用されません。

    つまり――
    保険診療においては債務不履行責任はそもそも成立し得ないというのが病院側の基本的立場です。


    医療行為は結果責任ではない

    少なくとも保険診療においては、

    • 病院や医師は、療養を提供すればその時点で国や保険者との義務を果たしたことになり、結果責任を負わない

    ことは、健康保険法の条文からも明らかです。

    また、患者側の訴訟の多くは「満足のいく結果が出なかった」という感情に基づくものです。しかし医療行為とは、あくまでも最善の努力義務を果たすことであって、結果の保証義務ではありません

    たとえ医療水準に照らして適切な措置がとられていた場合でも、治療効果に限界があることや、不可避の合併症・副作用のリスクが存在するのは医学的にも常識的なことです。

    医師がその時点での医学的知見に基づき、標準的な治療を行ったのであれば、それをもって「注意義務違反」とするのは公平とは言えません。


    因果関係の証明には高度な蓋然性が必要

    さらに、仮に過失があったとしても、それによって実際に損害が発生したかどうかの因果関係については、患者側が「高度の蓋然性(高い確からしさ)」をもって証明する責任があります。

    最高裁判例によっても、訴訟においては科学的に100%の因果関係を証明する必要はないものの、通常人が疑いを挟まない程度の合理的な確信が持てるレベルの証拠が求められます。これは決して低いハードルではありません。


    憲法25条と現実のギャップ:国家財政の制約という限界

    とくに医療においては、その保障の中心を担っているのが健康保険制度ですが、それは患者の無限の権利を認めるものではありません。

    • 保険診療の内容・範囲・報酬点数は、国(厚生労働省)によって一律に定められており、個々の患者の希望や期待に必ずしも応じるものではありません。
    • 保険給付の範囲は、財政の許す限度で決められ、急激な高齢化や医療費増大の中で、制度自体の維持が国の最大の課題となっています。
    • したがって、「必要な医療を受ける権利」や「適切な医療を受ける期待権」は、制度上・財政上の限界内でしか認められないのが当然です。

    これは、健康保険法等の公費医療が憲法第25条「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」を根拠としている点からも明らかです。憲法25条は財政上の制限を受けるとの判例があり、それは健康保険法や生活保護法においても適応されるものです。


    むやみに慰謝料が認められるべきではない

    一部の患者側弁護士は、「適切な医療を受ける期待権の侵害」という抽象的な概念に基づいて慰謝料を請求する傾向がありますが、これも制限されています。

    最高裁は「著しく不適切な医療行為」でない限り、期待権侵害のみを理由に慰謝料を認めることはできないと明言しました。

    つまり、通常の医療判断や不可避のリスクに基づく結果についてまで病院に責任を問うのは行き過ぎであるということが、司法の基本的な姿勢なのです。


    結論:病院に過度な法的責任を課すべきではない

    医療現場は、常に不確実性と複雑性の中で、最善の医療を提供しようと努力しています。結果が伴わなかったからといって、安易に契約違反や損害賠償を主張されると、医療提供側は萎縮し、リスク回避のために必要以上の検査・治療を行う「防衛医療」が蔓延しかねません。

    保険診療においては「契約責任」はそもそも成立しない。医療機関の責任追及には、慎重かつ明確な証明が求められるべきである。

    これが、医療の持続可能性と質を守るために必要な法的認識ではないでしょうか。

  • 医療訴訟の現状と保険診療の限界 ― 当会設立の背景 ―

    はじめに

    近年、医療訴訟を巡る環境は大きな転換点を迎えています。裁判所が公表している「医事関係統計資料」によれば、令和5年(2023年)時点の最新データから、医療訴訟の構造的な課題が浮かび上がります。本稿では、医療訴訟の実態を統計から読み解きつつ、現在の診療報酬制度の限界と、その中で医療従事者が直面する困難について考察を深め、私たちが「日本訴訟医学会」を設立した意義を述べたいと思います。


    医療訴訟における異常に低い勝訴率

    まず特筆すべきは、医療訴訟における原告(患者側)の勝訴率がわずか20%に過ぎないという点です。裁判まで至っても、5件中4件は請求が棄却されているのが実態です。

    比較対象として、一般民事訴訟における認容率は86.3%(証人尋問を行った訴訟でも58.9%)に達しており、医療訴訟の結果がいかに特殊であるかが明らかです。これは、医療訴訟においては「過失の立証」が極めて困難であること、ならびに医療行為が高度に専門的かつ不確実性を伴う営為であることに起因しています。


    判決より和解が多数を占める実態

    次に注目されるのが、訴訟の終結手段です。医療訴訟のうち、判決によって終結するのは36.1%であり、和解による解決が54.5%と過半数を占めています。

    この「和解」はしばしば金銭の授受を伴いますが、その内実は一様ではなく、医師に明確な過失がある場合だけでなく、過失が認められない案件においても、病院側が社会的批判や風評被害を避けるために「予防的和解」を選ぶケースが多く存在します。

    このように、和解件数の多さは、訴訟リスクの回避行動の一環として捉えられるべきであり、和解の存在自体が必ずしも医療過誤の存在を意味するわけではないという点に注意が必要です。


    医療機関の経済的逼迫と訴訟リスク

    現行の診療報酬制度においては、医療機関は極めて厳しい財政状況に置かれています。診療行為の多くが「原価割れ」となっており、物価高騰も追い打ちをかけています。その結果、かつては訴訟対応にある程度の余力を有していた医療機関も、現在では訴訟が提起されただけで経営的・心理的に多大な負担を被る事態となっています。

    このような状況下では、たとえ医師に過失が認められない場合でも、病院経営者や自治体が“世間体”や行政的配慮を優先し、和解に応じるケースが少なくありません。そして、現場の医師がスケープゴートとして責任を負わされるという、不当な結果を招くこともあります。


    保険診療の本質と法的誤解

    さらに本質的な問題として、日本の保険診療制度における医療提供の法的構造がしばしば誤解されています。

    保険診療において、病院や医師は患者に「治癒」や「改善」を保証しているわけではありません。 というのも、保険診療は患者と病院との私的契約ではなく、健康保険法などの社会保険制度を介した公的給付に基づく行為であるためです。医療機関は、国の制度に則って定められた医療を提供しており、その報酬も制度上、厳しく制限されています。

    それにもかかわらず、「結果責任」のような観点から訴訟が提起される現状は、制度的な枠組みとの整合性を欠いています。医療はあくまで努力義務に基づく行為であり、結果を保証するものではないという基本原則が、社会的にも法的にも再確認される必要があります。


    訴訟法理の見直しと制度改革の必要性

    これまでの医療訴訟は注意義務など、民法上の一般的な契約責任論に基づいて議論されてきました。しかし、現代の医療提供体制、特に保険診療という公的枠組みのもとでは、従来型の契約責任論では捉えきれない課題が山積しています。

    今こそ、医療訴訟を現実に即した形で再構築すべき時期に来ているのではないでしょうか。制度の整合性、医療の専門性、国民皆保険という特殊な文脈の中で、法と医療の接点を見直す必要があります。


    日本訴訟医学会の設立とその使命

    以上のような問題意識に立脚し、私たちは「日本訴訟医学会」を設立いたしました。

    本学会は、医療訴訟に関わる統計的分析、法理の再構築、医療倫理の検討などを通じて、より公正かつ実態に即した医療訴訟の在り方を追求することを目的としています。また、医療従事者の法的リテラシーを高め、社会との対話を通じて誤解や偏見を是正するための情報発信にも取り組んでまいります。


    おわりに

    医療とは、人間の生命と尊厳に関わる営為であり、本来、対立や非難によって語られるべきものではありません。にもかかわらず、制度的なひずみと社会的誤解が、医療と法の間に不必要な緊張を生じさせています。

    私たち「日本訴訟医学会」は、そうした対立構造を乗り越え、法と医療がともに歩むための知的基盤を構築することを目指して、活動を続けてまいります。

  • 医師は「自由な契約者」ではない

    ― 不均衡な医療契約の現実 ―

    世間一般には、「お金を払って病気を治してもらう」という考え方が医療の基本構造であると広く受け取られています。すなわち、患者と医療機関は、成果に対して報酬が支払われるという対等な立場で、有償の準委任契約を結んでいる、という前提です。

    しかし、実際の医療はまったく異なります。

    医師には「応召義務(おうしょうぎむ)」という法的・倫理的義務が課せられています。これは、患者からの診療要請に対して、原則として応じなければならないという制度です。
    患者の病状がいかに重篤であろうと、治療のリスクがどれほど高かろうと、またそれが経済的にまったく割に合わない医療行為であろうと、医師はその責任から逃れることができません。

    これは、通常の民間契約には見られない、極めて不均衡な構造です。
    すなわち、医療という契約は、患者が「選ぶ側」であり、医師は「断れない側」であるという、対等性を欠いた一方的な構図になっているのです。

    それにもかかわらず、医療事故が起これば、病院や医師はしばしば数千万〜億単位の損害賠償請求を受けます。契約関係において自由な裁量を持たず、強制的に応じる義務を負う側に、巨大なリスクだけを一方的に背負わせるというのは、明らかに理不尽です。


    保険診療制度と「高リスク治療=貧乏くじ」の現実

    特に、日本の保険診療制度においては、診療報酬は「かかったコスト」に基づいて厳密に設定されています。
    使用された薬剤や材料、人件費などの積み上げによって点数(報酬)が決まる仕組みであり、そこには「リスクを吸収するための余裕」や「結果責任を補填する余剰」といった要素は一切含まれていません。

    そのため、高度な判断が求められ、予測不能な合併症のリスクを常に伴う外科手術や出産、救急処置などは、極めて損益分岐が悪い「貧乏くじ」的な医療行為となってしまっています。

    万全を期しても結果が伴わなければ訴えられる。
    そして、たとえ勝訴しても、対応にかかった時間・労力・名誉の毀損・精神的負担は取り戻せない。
    それが今の医師たちが直面している医療訴訟リスクの現実です。


    若手医師の進路選択に与える深刻な影響

    こうした過酷な現実を前に、多くの若手医師たちは重大な決断を迫られます。
    外科、産科、救急といった命に直結し、社会的にも重要な診療科は、リスクが大きい割に報酬も見返りも少ない。だからこそ、これらの診療科を敬遠し、精神科、皮膚科、眼科など、比較的訴訟リスクが低く命に直結しない「マイナー科」に志望する動きが強まっているのです。

    これは個人の生存戦略としては当然の選択です。
    しかし、この傾向が続けば、医療全体のバランスが崩れ、本当に必要な医療が届かない社会が到来してしまいます。


    日本訴訟医学会の問題提起

    日本訴訟医学会は、このような構造的問題を正面から見据え、医療と法の接点における根本的な改革を提唱しています。

    医師が安心して医療に専念でき、患者が安心して医療を受けられる環境を実現するには、単なる個別訴訟対応ではなく、制度そのものの見直しが不可欠です。

    私たちは、医療と法が本当の意味で連携できる未来を目指して、これからも議論と提言を重ねてまいります。